茨木のり子全日記 Ⅰ
1949-1952/1955-1962
詩人茨木のり子のニ十七年間の日記を公開するシリーズの第1巻。
結婚し、詩集『対話』、『見えない配達夫』を刊行、東伏見に自宅を建築。 詩人、ラジオドラマの脚本家として送った日々が綴られる。
5,000円+税
書誌情報
仕様
A5変形判 布クロス装上製本、カバー付、函入り
縦220mm 横165mm 厚さ35mm
重さ710g
本文2段組 472頁
監修
宮崎仁 宮崎治
写真
武藤奈緒美
装幀・レイアウト
櫻井久
中川あゆみ(櫻井事務所)
校閲
イルゴッタ
編集
織田桂
発売日
2026年7月17日
初版第一刷発行
定価
5,000円+税
印刷・製本
株式会社東京印書館
©Osamu Miyazaki
ISBN978-4-9913259-3-9 C0391
詳細
医師・三浦安信と結婚した1949年11月、大学ノートに日記を書き始めた。
1955年からは日記帳に、詩人たちとの交流、書いた詩のこと、日々のこと、
晩ごはんのおかず、映画や演劇の批評、読んだ本、世相のことを綴った。
そして日記は、1975年、最愛の夫・安信が逝くと空白が目立つようになり、
その二年後、日記帳は閉じられた。
没後二十年の時を経て、詩人茨木のり子の穏やかな魅力ある日々、
ニ十七年間の日記を公開する。全3巻。
巻頭……カラー口絵32ページ、人物相関図、目次
巻末……略年譜、あとがき、人物総索引
第1巻=1949-1952/1955ー1962
第2巻=1963ー1968(2027年春刊行予定)
第3巻=1969ー1977(2027年末刊行予定)
[茨木のり子 全日記 I もくじ]
口絵 ……3
はじめに・凡例 ……49
人物相関図 ……50
1949 昭和二十四年 二十三歳 ……54
十一月十九日 土曜
引越し大体完了。夜二階の窓から星がみえる
十二月二十三日 金曜
夫婦間の扶養と友情についてYとディスカッション
十二月二十八日 水曜
日比谷公会堂で原智恵子の華麗なショパンを聴く
1950 昭和二十五年 二十四歳 ……59
一月十九日 木曜
ヴァレリイの『文学論』、
チェホフの『三人姉妹』丁寧によみかえす
十二月二十日 水曜
「美しい暮しの手帖」の近藤すまの日記に鮮烈な印象を
受け、刺戟される。
私もすがすがしい日記をかいてゆきたいとおもう
1951 昭和二十六年 二十五歳 ……64
二月二十八日 水曜
「展望」の「宮本百合子追悼号」を読む。
こういう稀有な作家が居なくなったのは惜しまれる
三月三日 土曜
紙びな、菜の花を飾り、お寿司でお祝い
三月四日 日曜
ミカン箱をやいて本箱をつくる。
本居宣長の書棚の如き趣きあり
三月二十一日 水曜
私の嗚咽はとめようにもとまらない。
男と女のもつれだ。ひしゃ蛙のように泣く
三月三十日 金曜
鶴岡の父上上京。
カトリック医師会総会に案内役で行く
四月九日 月曜
博物館でマチス展。デッサンのすばらしさに一驚
五月九日 水曜
モリエール『女学者』、林芙美子『晩菊』、
永井荷風『腕くらべ』、堀辰雄『風立ちぬ』をよむ
五月十一日 金曜
日劇地下で「偽れる盛装」をみる。
吉村公三郎も味なものを作ったと感心
五月十三日 日曜
吉祥寺の前進座に徳球潜入の疑い。
四五〇人ほどの警官がとりまく
六月十二日 火曜
誕生日。うす暗い台所でのりまき、
いなりずし、夏みかんのゼリーなどをつくる。
彼歓声をあげている
六月二十三日 土曜
六月分月給もらう。
地方税六〇〇円ひかれ、一万四百円也
六月二十七日 水曜
砂糖の配給をとりに行ったら、
そこのいつも愛想のいいおかみ、今日は機嫌わるし
六月三十日 土曜
林芙美子が死んでしまった(二十八日)
七月四日 水曜
お母さんの乳癌、
吉田で手術ときまった由、安心する
七月二十二日 日曜
銀座で南仏カレーを食べて
三越にゆき、彼のレンコートを買う。
五千円也(中元の商品切手)
八月一日 水曜
彼当直。夕ぐれ近づくと、たまらない淋しさに
襲われてパンものどを通らない
八月二十日 月曜
つくづく主婦廃業したくなることあり。
一切合切がいやでたまらなくなることがある。
くされ桃みたいな顔をしている
十月七日 日曜
「麥秋」をみにゆく。三宅邦子の好演印象に残る。
大和の風景、田舎道の嫁入行列ともに良し
十一月十五日 木曜
台所の合理化……ガスがほしい、どうしても
十二月九日 日曜
「愛妻物語」を観て、顔のはれ上るほどに泣いてしまい、
夕食のおかず買いを夫君に頼む
十二月二十九日土曜
新しく飾られた猪熊弦一郎の上野駅の壁画を見ながら、
朝十時鶴岡へたつ
1952 昭和二十七年 二十六歳 ……101
二月一日 金曜
『山のあなたの空とおく』(暮しの手帖増刊)を買う。
主婦の綴方集だけど、すてきにたのしい
三月七日 金曜
朝吉田着。なにもかもなつかしい……。
なんといっても私の育った風土なのだ
四月二十日 日曜
ビール瓶の百本もこわしてみたいほど胸がしこる。
岸田國士の「紙風船」のにくらしさ!
四月二十八日 月曜
講和発効日。今日から独立というわけなり
五月二十五日 日曜
朝からご馳走する。
グリーンピース御飯、ビフテキ、玉子焼
六月二日 月曜
栗の花、かすかに匂う。
セクシュアルなノスタルヂイを感じさせる匂い
六月八日 日曜
電報。ミツヨ シンダ ソウシキハ 十日。
ばばさまの死……はかなさ身にしみる
九月五日 金曜
『中国の赤い星』エドガー・スノーよむ。
如何に隣邦を知らないかを悟る
1955 昭和三十年 二十九歳 ……116
一月十一日 火曜
「櫂」十号、川崎さんから送ってくる。
バーナード・リーチ氏の表紙
一月十五日 土曜
あさ九時起床。お雑煮に油揚入れてたべる。
「家」の設計図を方眼紙に入れて書く
一月二十四日 月曜
会計ピンチ!
水道料とりにきたけれど、ものやわらかにゲキタイ
二月十日 木曜
ワイシャツ五枚、のりづけ。家の設計、再検トウ。
ああ早く引越したい
二月十八日 金曜
「小さな渦巻」という詩一篇できる。
ゆうべ玉子焼の玉子をかきまわしていたとき
ふっと浮んだのだ
三月十三日 日曜
スイートピー、アカシアの花など買ってきて
Yは絵をかく。ボナール風の美しいもの
三月二十三日 水曜
終日雨。家計簿みると、私も何か収入の道をと
おもわずにいられない
四月二十一日 木曜
岸田衿子さんの詩集『忘れた秋』がとどく。
ユリイカ版、とてもとても美しいもの
五月五日 木曜
「野生の女」を第一生命ホールにみにゆく。
アヌイ原作。慶應系の劇団の由
五月十三日 金曜
十一日の瀬戸内海での紫雲丸事件、
いろいろ報道されていたましい
五月十九日 木曜
詩学社より、「現代詩戦後十年」寄贈される。
川崎さんの茨木のり子小論、ほめてあって照れる
五月二十二日 日曜
「文章俱楽部」の「小さな渦巻」、
決定的な誤植あり、不愉快
六月十四日 火曜
虫干しみたいにズボンを干し、アイロンかけしてくたびれる
六月二十三日 木曜
猛暑のなかで詩を書く。
私は暑い時の方がよい仕事が出来るような気がする
七月三日 日曜
『和風住宅80選』という本買ってきて、住宅の研究。
清家清のプランなかなかいい
七月九日 土曜
夜、宝塚歌曲集をきく。
葦原邦子、大空ひろみ、橘薫などみななつかしき名前
七月十一日 月曜
Yと一緒に家を出て、
新宿の昭和信用金庫に第一回の住宅申込みに行く。
あとは当落を待つのみ
七月二十三日 土曜
お金とぼしいのでしょんぼりしている。
茨木のり子さんもだめですよ
七月二十五日 月曜
月給日。やっと漕ぎつけた思い
八月一日 月曜
中原中也、草野心平、八木重吉などの詩人全集を
よむ。中原中也など一体どこがいいのだろう
八月十八日 木曜
住宅公庫はみごと落選。一寸力をおとす
八月二十日 土曜
えり子さんから葉書、
信州の富士見高原療養所からのもの
九月十四日 水曜
砂川町の抵抗、敗北に終る。
録音ニュースできく叫喚すさまじい
九月二十二日 木曜
私の良い服選んで質屋に四点持ってゆく。
千五百円かしてくれる、助った!
九月二十三日 金曜
午後三時五分の東海号(準急)に乗る。吉田着十時
十月十五日 土曜
ブラウスの仮縫いを伊勢丹でして、新宿東宝で
「旅情」をみる。この映画ならもう三回位みたい
十月三十日 日曜
白河行。二時頃着。節さん、並木さんの出迎え。
海抜六〇〇米の夜気、牧歌的なくらし
十二月十六日 金曜
詩集『対話』を「櫂」同人に発送
1956 昭和三十一年 三十歳 …… 190
一月四日 水曜
Y、仕事始め。水道橋の結核予防会の新年会にも
顔を出す
一月十五日 日曜
夜やき鳥をつくってたべる。
やき鳥のエキスパートになれそうである
一月十七日 火曜
Y、所沢東映に「黒田騒動」をみにゆく。
すっかり内田吐夢ファン
二月四日 土曜
渋谷の中村書店より、
詩集『対話』十さつ送ってほしい旨の葉書あり
二月二十一日 火曜
サルトルの『ユダヤ人』を読む。
サルトルの合理精神はまったく瞠目に値する
三月二十五日 日曜
十一時半頃トラック到着。朝霞、池袋を通って、
一時すぎ神楽坂到着
四月二日 月曜
『茶と美』を読む。柳宗悦氏の論に肯定、
否定ともどもに感じる
1957 昭和三十二年 三十一歳 ……216
一月一日 火曜
庄内にて。美しく晴れて、いいお正月
一月五日 土曜
朝七時、上野着、三等寝台は実に快適
一月十二日 土曜
風烈し。モロッコにでも行ったように、
公園の砂塵が家の中に入ってきてまっくろくなる
一月十九日 土曜
「ユリイカ」二月号とどく。
私の「くだものたち」という詩がのっている
一月二十三日 水曜
安西氏来訪。朝日新聞のブックレビューの
仕事をしないかというありがたい話
一月二十五日 金曜
岐阜の印刷屋のおじさんから
ファンレター(?)もらった
一月二十七日 日曜
午後三時、笹の雪で「櫂」の新年会(会ヒ五百円)
二月一日 金曜
『女は誰のために生きる』の
書評一枚ちょっとかいて送る
二月十日 日曜
池袋、ジローにて、
谷川俊太郎氏のシャンソンの会あり
二月十八日 月曜
住友銀行で七千六百円下す。
松坂屋でYにイングランド製のネクタイ一本買う
三月十二日 火曜
『挽歌』(原田康子)を読む。
新鮮で読ませるだけのものを持っている
三月二十九日 金曜
土佐林三兄弟、突然現れてびっくりする
四月三日 水曜
野方の牟礼氏宅訪問、初対面の牧羊子氏とも会う
四月七日 日曜
Y、病院へゆき、クランケみて、
帰り小出楢重展みてくる
四月十二日 金曜
三時すぎ音楽家の服部公一氏来訪、
「うた」を作りたい話
四月二十日 土曜
「鳩バス」に乗る、八時間の一日コース。
月島、泉岳寺、明治神宮、
歌舞伎座の一幕見は「心中天の網島」をみせられる
四月二十四日 水曜
大岡氏の結婚式。神田、学士会館にて
五月十九日 日曜
夕方星ヶ岡茶寮で支那料理たべる。
美しい庭と、おいしいごちそう、デザートにびわ
五月二十三日 木曜
千代田劇場で、母上と二人、「あらくれ」をみる。
おもしろい映画だと思う、森雅之がいい
六月十九日 水曜
山葉ホールで友竹辰さんのリサイタル。
三好達治の詩を作曲したもの、よかった
九月十三日 金曜
詩劇集の批評、朝日新聞に出る。悪評。
少しくさる
十月四日 金曜
淡谷のり子の自叙伝よむ。
書評用。たぶんに感覚的
十月十九日 土曜
横浜の上原教会で、花形久子さんの告別式。
キリスト教の告別式をはじめてみる
十一月四日 月曜
「詩学」に「友あり 近方よりきたる」を送る。
いい詩だとおもうのだが……
十一月十二日 火曜
書評、とどけに朝日までゆく。
『黒い肌』、『愛といのちと』
1958 昭和三十三年 三十二歳 ……257
一月二十一日 火曜
芥川賞、開高健氏の「裸の王様」にきまったそうだ。
よかった、牧さんのよろこびを思う
二月七日 金曜
「週刊朝日」と「現代詩」二月号読む、
「現代詩」のつまらなさに呆然
二月二十七日 木曜
出版クラブで「ユリイカ十周年」の会あり、
伊達得夫氏をはげます会とのことなので出席
三月八日 土曜
夜、阿部さん、静子さん来訪、四人で建築の打合せ
三月十三日 木曜
「婦人公論」五月号のためのグラビア。
石元さん、二世で、おもしろい人だった
四月六日 日曜
Y、後楽園へ野球みにゆく。巨人、国鉄の試合
四月九日 水曜
Y、「戦場にかける橋」みて帰る。
「クワイ河マーチ」、ピーピー鳴らして帰ってくる
五月三十日 金曜
『ヨーロッパ三等旅行』読む。
戸塚文子の女の一人旅でおもしろい
七月二十二日 火曜
「真夏の夜の夢」うまく出来上らない。
いい作品か、悪い作品かウラナイしてみたら悪いと出た
八月六日 水曜
母の命日。写真の前で
詩「真夏の夜の夢」占ってみる。吉と出た
八月二十六日 火曜
「貯える」という詩かく。一夜にしてなったもの。
ふしぎに早く出来た
九月十四日 日曜
Y、午前中「彼岸花」をみにゆく。
歌舞伎座立見席で「戦国御前」と「茨木」みる
九月十六日 火曜
有吉佐和子の『ずいひつ』よみ、若々しくおもった
九月二十二日 月曜
川崎さんに赤ちゃん生れたことをきく。
早速、祝電をうつ。
「オメデトウ ステキデスネ ナコウド」
九月三十日 火曜
常木さんより新潟の梨とどく。長十郎すきだったのを
忘れずに送ってくれた厚意、身に沁む
十月一日 水曜
電話がきて、すごく便利
十月二十六日 日曜
引越し日。まったく一切の力を出しきった引越し
十一月八日 土曜
結婚記念日。ガスもこないし、何も御馳走できない。
ウイスキイとライスカレー
十二月二日 火曜
夜、チキンコキール。天火のありがたさ、身にしみる
十二月六日 土曜
母上の命日。おみかんを供え、焼きりんごを作った
十二月二十一日 日曜
旧「櫂」メンバー集る。
寺山修司氏、えり子さんも来訪。
皆いい家だとほめてくれる
十二月三十一日 水曜
「家」もできたし、詩集も出したし、
いろいろと多事な年だった
1959 昭和三十四年 三十三歳 ……314
一月六日 火曜
「ユリイカ」一月号に那珂太郎が
『見えない配達夫』の書評かいてくれている
三月一日 日曜
朝七時半、新宿集合、房総旅行。
岩目館は林芙美子の常宿だった由
三月二十四日 火曜
会計ピンチとなる。
夕方、原稿料三千四百円とどく。助った!
四月十日 金曜
皇太子、美智子さんとハイラーテン、
いわゆる御成婚式なり
五月八日 金曜
月給日より十四日目にて一銭もなくなる
五月二十二日 金曜
「現代詩」に「女の子のマーチ」送る。(速達)
五月二十九日 金曜
田無銀映座に行って「キクとイサム」をみる。
今井正は泣かせどころを知っている
六月二日 火曜
吉祥寺へ買物に行く。
名店街の二階に山下清がサイン会のため来ていた
1960 昭和三十五年 三十四歳 ……338
一月二十九日 金曜
新宿三越で鶴岡の母上の肺炎お見舞のもの買う。
ストール、靴下等ととのえ送ってもらう
二月二十四日 水曜
「現代詩」のベスト・スリー、今月は
石垣りんさんの「その夜」にする。
『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』
という詩集悪くない
三月十日 木曜
Yがコロンビヤテレビが良いといってきかないので、
吉祥寺でコロンビヤを契約してくる
六月四日 土曜
安保闘争へはじめて参加
1961 昭和三十六年 三十五歳 ……350
一月六日 金曜
水牛の骨のネックレスして
英一の結婚式に行くことに決めた
一月十八日 水曜
朝日新聞で、伊達さんの死を知り、言葉もない
一月二十二日 日曜
朝日の「きのうきょう」に
谷川さんの「伊達さん」という文章のっている。
いい文章でしみじみ読む
三月二十一日 火曜
Y、突如倒れる。嘔吐、心臓の苦痛。
夜中に意識の混濁あり、事の重大さを悟る
三月二十三日 木曜
Yの症状少しも好転せず、石山先生
始めてルンバールをして下さる。(6cc)
「ア、やっぱり蜘蛛膜ですね」
三月三十一日 金曜
病院へ入ったらほっと安堵の溜息が出た
この安心感は例えようもない
1962 昭和三十七年 三十六歳 ……375
一月二十八日 日曜
荻窪から地下鉄で伊勢丹まで。
つい先日開通したばかりの地下鉄
一月三十一日 水曜
朝九時、田村隆一氏ふいに現る。
まだ食事中のところだったのであわてる
二月十九日 月曜
電気洗濯機、ぶんぶんまわして、せんたくもの
一掃する。私のおもちゃができたようだ
三月十八日 日曜
近江牛を西武で買って、夜すきやき。
特級酒白鷹をあけて定夫さんをもてなす
四月五日 木曜
「週刊女性」で山本太郎氏が
私の詩「もっと強く」を引用している
五月四日 金曜
昨夜、常磐線の三河島で衝突事故あり、
一五〇人近くが死んだという惨事。
新聞の記事をよむと全くやりきれなくなる
五月十六日 水曜
寿屋の新しい麦酒名の募集に出してみることにする。
「ドンキホーテ」「ホップ・ポルカ」「アイボー」
六月十三日 水曜
夜、文化服装学院流の原型をとる。ミシンがほしい
六月十八日 月曜
夕方、安部公房氏よりでんわ。びっくりした
六月二十七日 水曜
吉祥寺で母とミシンをみる。
シンガーの電気ミシン買ってもらう。三万二千円也
七月二日 月曜
選挙開票速報をテレビでみる。
社会党意外にのびず、暗いきもちになる
七月二十九日 日曜
凄い暑さ。三十五度。
電気冷蔵庫が切実にほしくなる
十月十二日 金曜
「文藝」の田邊園子さん来訪、
したしみの持てるいい編集者
十月十三日 土曜
スパゲッティにして、かにを入れた
ソースをかけてたべる。Yすこぶるおいしがる
十一月八日 木曜
原稿書き。昨日の対談のまとめ。多忙なり。
Y、夜ふっと「今日はおれたちの結婚記念日だ」という
十一月二十八日 水曜
宮崎病院開業
20周年記念日
十二月十四日 金曜
N響の小澤征爾ボイコット問題が、こじれにこじれ、
とうとう演奏会が中止に
十二月三十一日 月曜
Yはボクシング(チャチャイと海老原)、
私は紅白歌合戦のテレビをみる
略年譜 ……448
あとがき 宮崎治 ……454
人名総索引 ……468









